エリザベート帝国劇場公演を終えて

エリザベート帝国劇場公演が無事幕を下ろしました。

 

何を言葉に残してよいのやら、まだ京本君で言えば博多座、中日劇場と続くので「終わった」という感覚にはなっていません。

とはいえ、帝国劇場に次、彼が立つ機会はいつくるのか分からないわけで、またあの緊張感と高揚感と興奮を味わえる

ルドルフを演じる京本君を帝国劇場で見られる時間は、あっという間にすぎてしまいました。

 

今年のエリザベートは昨年とははっきりと違う、毎日が楽しみというそんな穏やかで安定した気持ちで見ることができました。

正直な話ですが、昨年のエリザベート公演期間の3ヶ月、とても充実していたかというと、そうではなく、やはりあの休演があってからというもの、

毎日のように、「今日は舞台にたてるだろうか」「今日の大我くんはどうだったろう」と心配ばかりしていました。

そんな心配をよそに、素晴らしいルドルフを見せてくれましたが、やはり公演後に明かされる当時の過酷な精神状態を見て、今年は地方も回るけれど

大丈夫かな・・と思っていたのも事実です。そんななか開幕した2016年のエリザベート

 

初日、1幕の「我ら息絶えし者ども」の第1声「ママと僕は似ている、分かり合えるはずだった」この1フレーズだけで、はっきりと去年とは違う、

声の太さも響きも明らかに成長した京本君のルドルフがいました。

 

どこがよかっただとか、こんな演技をしていて感動しただとか、書き残したいことも山ほどありますし、エリザベートを通じて経験したあらゆる思いを残しておきたいのですが、いまだ整理が付いていない状態です。

毎公演進化する京本君の表現力もお芝居も楽しみでしたし、何より安定してみていることが出来ました。

とても頼もしく、大人なルドルフを演じているなと。本人が目指しているルドルフ像を、こうして観客が受け取るレベルまで作り上げてきてるんだなと。

 

詳しくはまた、頭が整理できてから書き残そうと思います。

 

ただ、帝国劇場の千秋楽を目にして、そしてカーテンコールを見ていて、今彼が見ている帝劇の舞台から見た光景や観客から自分だけに向けられた大きな拍手の記憶が、今後の彼にとって何か壁にぶつかった時の自信として記憶に残っていたらいいなと思っています。

 

前回同様かれの演技には音源や映像には残りません。京本君がカーテンコールの挨拶で「今年の僕のテーマは、みなさんの記憶に残るルドルフでした。僕のルドルフを忘れないでください」っとはっきり語った言葉の中には、彼なりの悔しさもあるとは思います。それでも、その現状を自分なりに噛み砕いて、糧にして前に進んでいる様子が見て取れました。

勿論個人的にも色々な感情はありますが、何よりも今彼がその制約の中に存在していることも、そしてその制約のある環境で11年歩んできたことも事実です。そして2年間のエリザベートという作品に関わった時間、そこから派生して繋がったお仕事、観客からの評価、何より彼自身が身につけた実力と自信・・・すべて私の目にうつるものは決して可哀想なものではないので、最後にたったひとつ、映像化できなかったということで可哀想だと言わないで貰えたら、ありがたいな、そんな風に思います。

外部の舞台を2年連続で経験し、外の世界にも目を向け、人とも交流をして。経験を通じて自分なりに決めた道や、目の前に広がっていると気付いた新しい世界が、今のままでよいのか外に出るのか、それを判断するのは本人次第ですし、いずれの道でも見守りたいなと思っています。

 

次は博多座公演。

 

京本君のルドルフをしっかりと目にも耳にも残したいと思います。