22歳

京本大我くん。22歳のお誕生日おめでとう御座います。

22歳の1年がまた21歳の1年よりも素晴らしいものとなりますように。

 

21歳の一年を終えて、なんだか京本君の目の前には今まで以上にA,B,C…と書かれた扉がいくつもあるように見えます。Aをあけて欲しいというファンもいれば、Bというファンも、Cというファンも。そんなファンの思いも感じつつも自分自身の選択をしているように見えます。そしてひたすら前に、上に進む姿にこちらが取り残されてしまう錯覚さえ感じます。

 

どの扉を開けても、はたまた全部壊してでも、たとえその先の道が長くても、常に我々に提示してくれている夢があり、その夢を掴み取るまで進み続けてくれるとステージ上の姿を見る度に感じます。今までも我々が見る京本くんと京本くんが立つ世界が一歩ずつ、着実に素晴らしいものへと深化してきた事実が証拠であるように。

 

どんな選択も、京本大我が選ぶ道に間違いはないと付いていけるので、この先も鬼のようなハングリー精神と、向上心と素直な心で「突き進み、突き放して」下さいね。

そしてファンに対して優しくて、思いやりがある姿に励まされてます。ありがとう。

 

お誕生日、本当におめでとう御座います。

 

今日の勇姿、楽しみにしてます。

 

終わりは始まり。ルドルフとエリザベートの2年間

2015年の帝国劇場公演から、2016年の帝国劇場、博多座、そして中日劇場公演の幕も無事おりましたね。「今」京本君が向き合っているお仕事を応援していたいので、「あの時は良かった」って回顧するのは程ほどにしないとなと思ってます。だからこそ、エリザベートはきっと何度も「あの時は」って言いたくなると思いつつ、この長い長い記事を書くことで、自分の中でも一区切りをつけないとなっと。

 

区切りという意味でも、京本くんのカテコの言葉は印象的でした。帝国劇場では、やはり「忘れないで」が今彼が発言できる限界だったのかなとも思いますし、中日劇場では、「運命」「これからも地道に努力」という彼らしい言葉を聴くことが出来ました。

 

日劇場「~ルドルフという役のオーディションが、僕の二十歳の誕生日の日でした。~今年もまた引き続きルドルフをやらせて頂いたということを、凄い運命に感じていて、本当に幸せに思っております。エリザベートに出演てミュージカルに興味を持つようになり、凄く楽しいんだと実感しましたので、またいつかこうしたチャンスを頂けるように、これから少しずつ地道に努力していきたいと思いますので、応援の程宜しくお願い致します。

 

帝国劇場「エリザベートと出会えて世界が一気に広がって、僕の人生の分岐点ともいえるほど素晴らしい作品です。今年もこうしてみなさんと出演することができて光栄に思っています。今年は僕のルドルフはみなさんの心に残るルドルフ、をテーマにしていました。まだこれから博多座、中日劇場と出演させて頂きますが、最後までみなさんの心にのこるルドルフを演じたいと思いますので、僕のルドルフを忘れないでください。」

 

 

1023日の大楽を観劇し東京に向かう新幹線の中で京本くんのファンの友人と、

「きっと何年経っても『あのときのルドルフの2年間は濃かったね、ファンとしても大きな意味のある時間とお仕事だったね。』ってこの後どんなお仕事があっても振りかえって懐かしくなるよね。」

なんて話をしたのを思い出します。今までやこの2年の他をお仕事を否定してるのではなく、後述しますがこの作品は彼の言葉を借りるなら「人生の分岐点」にもなったと思える作品でしたから。

 

2015年、帝劇公演、博多座公演、夫々のタイミングで書留てきたので、まずは名古屋での公演のお話を。

名古屋は今回初日、2週目、3週目と8公演程観劇しました。やはり1ヶ月半あいてのルドルフを演じる初日は目にしたかったので。

後述しますが、どんな舞台より(スーベニアもそこそこでしたが)本人が演じるその瞬間まで恐ろしいほどに観る側としても緊張してしまうのがこのエリザベート

初日は勝手にブランクに対して不安を感じていました。けれどそんな心配をよそに、帝劇・博多座よりも確実にパワーアップして戻ってきた京本ルドルフでした。

「おはようございます」このたった一言で、「あっかわった。これはいける。」ってはっきり思えるほどの。終わった瞬間、観劇していた友人達で、「すごかった!!」と口を揃えて興奮したのを思い出します。

回りもみんなそれなりに観ている友人ばかりでしたけれど、それでも皆ここまできて良かった。。って思うだけのものを初日から見せてくれるとは恐ろしい殿下です。

 

2週目の3公演。

土曜日のマチソワでは正直少し闇広でのパワー不足が感じられて、初日のあの圧倒的な力強さではない?という印象でした。しかし、その後の独立運動、ママ鏡でその不調を引きづることが一切無く、

しっかりと歌い上げていたので、ここが京本くんの2年目の強さだなと感じています。どんなコンディションでも一定レベルのものを見せられる、自分をコントロールできるようになってきたかな、というのはこの長丁場の舞台経験から得られてきているものだと思います。

そんななか日曜日。芳雄さんと涼風さんの千秋楽公演。とにかく全キャストの熱が1幕から恐ろしく、花様の「私だけに」で完全にシシィが憑依したようなふっと笑う表情、魂から歌うような声に、拍手がなりやまないショーストップの芳雄さんの最後のダンス。ソンハさんの存在感に万里生さんの年齢の変化をしっかり感じさえる演技に歌声、、、この熱に京本くんもぜひのって欲しいと思いながら2幕が始まるりました。「私が踊るとき」の花様と芳雄さんの勝負がもう圧巻でこの歌声の響きの中で死にたいと思うほどです。

 

いよいよルドルフの登場。昨日とは見違えるような大我ルドルフ。やはりカンパニーの熱が彼を一層奮い立ててるな、と思う暇も無く芳雄さんとのラストの闇広。観ているこちらまで同じタイミングで息継ぎする感覚で見ていました。もう全身震わせて芳雄さんに必死に食らい付くように歌う、全身を震わせて。終わった後これまたショーストップ気味の拍手のなか、芳雄さんは京本君の手をそっと握ってくれていました。ルドルフ役が決まったとき、初めて私が見た「闇が広がる」は芳雄さんの映像で、これを歌うのか、しかもこの方と。。と鳥肌がたった記憶がありました。それがラストの公演、必死に芳雄さんに食らい付いて歌う姿が印象的です。またぜひ、芳雄さんと共演できる機会が来て欲しいな、、と心のそこから思います。芳雄さんは2015年のMVPに大我くんを選んでくれたり、「かわいい」と度々口にしてくれたり、、。

続いて、独立運動での革命家とのダンス。顔も握りこぶしもわなわなと震えながらきれっきれで踊る。そして名乗りだす部分の息使い。そこからのママ鏡。もう京本くんのママ鏡が本当に名古屋にきてから一層感情の乗せ方が強くなって、それでいて声も太く響かせているからすごく切なくて。自分が子供を産んだ事のある母であったら、もっともっと胸が詰まる思い出みるのだろうなと思いましたが、とにかくこのシーンの誰からも見捨てられたルドルフの姿が涙を誘います。やはり花様のときは、すっと離された左手をじっとみつめ、そして博多でみたようにぎゅっと握り締めるんですよね。

 

そしてラストのマイヤーリンク。初日はカハっと笑うことが無くなり「目を閉じ覚悟する」だったのですが、土曜日に見たときは「安堵の笑み→覚悟」に変っていて、その変化がとても良かった。

京本くんの演じているルドルフ像として一貫しているように感じています。ラストキスも長かった。今までで一番長かったんじゃない?というような。

銃声が鳴り響いてやっとわれに返れた気がします。

 

カーテンコールで、芳雄さんのことをキラキラとした目で見つめる姿も印象的でした。ずっとにこやかに観ていたけれど、芳雄さんが「声が出ないな~なんて日も舞台にたって、、」というような言及があったとき、きゅっと真面目な顔になった姿も記憶にのこっています。

 

3週目。

ラスト4公演を観劇しました。とても長くなってしまいそうなので、大千秋楽のことを。

今回2年間通して、40回程度見たのかなと思うのですが、その2年間で私の中では「ベストなルドルフ」でした。父と息子で舞台にルドルフとして立った瞬間の精悍な表情。あんなに凛々しい姿は今まで見たことなかったです。歌詞のひとつひとつが力強くてルドルフの怒りがひしひしと伝わるようでした。

「闇が広がる」が始まる前、今までで一番力強く握りこぶしを振り下ろして地面を叩きつける姿、そこから完全に操られたように目から生気が失われる。そして歌声は今彼ができる最大限の歌で、さらに「縛られて」の「れて」で音程を変えるアレンジを加えました。「我慢できない」はどの回よりも力強く広がっていたし、とにかく本当にこれが2年の集大成なんだと感じました。

独立運動で革命家と踊るシーンでは、この3週目から、階段を下りるときは不安げな表情なのに、すっと目を閉じて見開いて、そこから決意の光が目の奥に宿る変化がありました。ママ鏡になると、途中から声を一瞬つつまらせながら必死にシシィにすがる様子に加え、ここでもアレンジを加えようと挑戦していたんですよね。心なしか声にも泣声交じりになり、ぎゅっと力強く花シシィにすがりつくからか、花様のお声も震えてるように感じて、、。最後の最後まで、京本くんは新しいことに挑戦し続けてました。ちなみに、前楽の蘭乃さんのシシィのとき、シシィに見放された瞬間、はいつくばってシシィを倒れこみながら追いかけたんです。彼の中からおもわずルドルフがそうせずにはいられなかったかのように。本当に京本君は憑依してお芝居する子だなとはっとさせられながらも思い知らされました。

マイヤーリンクでは汗をびっしょりかきながら、最後も安らかに微笑み、そして最後に目に光を宿してトートをにらみ、死んでゆきました。最後は顔に血の気は一切なく、人形のように、ふわっと倒れ、まるで母親に抱きかかえられる赤ん坊のように。この死に姿がなによりも彼のルドルフの一貫したお芝居を印象付けるものだなと思います。

 

きっとそれぞれファンの中で、このときのルドルフが一番!ってあると思います。舞台ってそのとき自分が感じたものが正解だとおもうので、私はこの日のルドルフが一番よかったと感じたとはっきり書きとめようと思いました。

 

 

 

いきなり東宝ミュージカルの中でも大きな作品のエリザベート、しかも若手の登竜門と呼ばれるルドルフ役に、ほぼ素人状態で飛び込んだ2015年。そして2年目の2016年の再演。本人の口から伝えられた意識の変化も個人的にはとても嬉しく、重みがあるものでした。

『人生の分岐点。世界が変った。』

 

すでに連載は終わってしまいましたが、シアターガイドの連載はどんなアイドル誌よりも内容が詰まっていました。

連載最終回で、「10年先まで自分の糧となる経験」「今の自分の1/4はミュージカルが占めている、~やりがいも大きいので、声に深みや渋みがでる年齢まで続けたい」と言及していたり、上述したように帝劇の千秋楽でのコメントだったり。このような言葉を応援している人から聞けたらどれほど嬉しいことか。

あくまでも私的な応援のスタンスですけれど、来年、再来年こうなって欲しいとか、こんな活動を誰々として欲しいとかよりも、「これは自分が10年先まで芸能生活をするために強みにできる」というその人なりのものを見つけて、それに納得して、最終的いろんな道を模索しながら夢を叶えて欲しいと思っています。その何かのひとつにミュージカルがあって、それはエリザベートに出会ったからこそで、2年間全うするなかで本人もそれを徐々に自覚してゆくようで、だからこそ特別に感じています。

脱線しますけど、今の京本くんなら、世の中で「2世」という看板でまず名前が知られてゆくことも全然良いと思ってます。勿論学生の頃の彼の悩みだとか、決して良いイメージばかりではないとか言い出したらきりが無いですけど、本人の意識が変ったことがまず1番にあって、そして彼の背負う運命は変えられないのだから、それをも武器としてどんどん使えばいい、そう思います^^

 

 

キャストに決まってから1年目のこと。

エリザベートの出演が決まって、ガムシャラ公演で本人の口から「エリザベートのオーディションに合格しましたー!」という報告がきけて、喜ぶのも束の間、稽古が始まり、インタビュー記事が出て。

どんな舞台なんだろうと調べてゆくうちに、事の重大さに気付きました。

 

総じて2015年もとても充実した記憶で満ち足りていますが、やはり休演した日、その後数週間は不安ばかり募らせてました。休演したその日の公演は私も観劇していましし、毎日今日は舞台に立てるのかと心配になり、(過去の記事にも書いた記憶が)演技が終わるたびに今日も無事終わった。とほっとするの繰り返しでした。

78月と調子を上げて千秋楽を迎え、やっとここまできたねという思い出カーテンコールを見届けたのを覚えています。

 

その後の雑誌でも当時は相当きつくてご飯ものどを通らなかったり、家族にも助けられていたりと明かされるたびに、やはりこの役と向き合うことの精神的な負担の大きさを感じました。

もちろん休演してしまったことは決してほめられることではないのですし、本人も一生後悔すると語った記事もありますし、今年になって、この経験を通じて自分自身のコントロールの術を身につけられるようになったのかなと思います。これは休演前のインタビューで

 

「演出の先生から、『~2世だしアイドルということで、評価のハードルは高いですよ。一生懸命頑張ることは誰でもやることだし、それだけじゃ周りに追いつけませんよ』という言葉を頂いた。~本番を迎えた今、その言葉が深いところまで届いてきてるよ。でもすべてを吸収しつつ、死に物狂いで頑張ったらすごい武器になる・・そう考えてステージに立つようにしてるんだ」

と話していたことは2年目の今でも思い出すときがあります。小池先生の下、精神的にも強く逞しくなれたのではないでしょうか。

 

とにかく必死になって挑んだ1年だけでなく、もう一度ルドルフと向き合うことが決まったとき、嬉しさの一方で、果たして地方まで回って大丈夫だろうか、、と余計な心配をして、さらに間を埋め尽くすようにジャニワにスーベニアに歌舞伎にクリエにサマステに少年たちに(笑)、と決まってゆく過程で心配するなといわれるほうが無理だろうという。しかもただ忙しいというより、それぞれまったく違う舞台であり、立場であり、メインどころも多いし本番と稽古をつねに繰り返してるし、、と。けれど実際はその忙しさも、ひとつひとつの活動も糧にして乗り越えたのだな~と名古屋のエリザベートで最高潮にもっていった彼をみていた思いました。繰り返しになりますが、その当時のことをシアターガイドで彼の口から何を思って、何に悩んでいたかをファンは読むことが出来たんですよね。いやぁ、本当に感謝しています。忙しいことは可哀想なんて思わないですし、むしろ「この2016年を乗り越えて、さらに素晴らしいものをみせられたら、絶対にまた1段、2段飛躍できる」と思いながらそれぞれの公演に脚を運びました。2016年の記事では、「はじめて舞台で生きている気がした」とも語っていて、ルドルフを演じた経験が一生のものになっているなと感じるたびに嬉しくなりました。自ら「大人になったルドルフ」を目指すといっていたように、演技をみて、以前より芯がでてしっかりした部分もありつつ、京本ルドルフ特有の儚さも残している!と伝わりました。

 

エリザベートという作品そのものとキャストの方々に惹き込まれ、まだまだ新参者ですがミュージカルの魅力にはまっていきました。

特に2年目の今年は、京本くん自信の何も心配の要らない安定した姿があったからこそ、他の俳優さんを楽しむ余裕ができたからこそかもしれません。

その中でも、今年は蘭乃さんのシシィと万里生さんのフランツが特に好んで選んでいました。

 

とくにシシィについて言えば、なぜだかとにかく蘭さんのシシィの演技プランや去年お歌のことだったりといろんなものが重なって胸を打ったんですよね。Wキャストだとついどちらが良い悪いのはなしになる世界なんだなと、わりとすぐに気付きましたが、どっちのほうがいいとかそういう話ではなく、2年目の彼女の演じているシシィがとても、私の中でシシィって共感できない女の人だな、エゴイストだなと感じていたシシィのイメージに合致したからなのかもしれません。

あくまでも個人的に感じ取っていた蘭さんのシシィですけれど、「人間臭い」シシィで気が強くて、とにかく自分の感情にまっすぐで、それをダイレクトにぶつける。フランツにもゾフィーにも。「私だけに」の歌はどこか怖いと思わせるような皇室にはいない女だったなぁと。

俳優さん個人的なバックグラウンドを考えなら役を見ることが良いか悪いかわかりませんが、「舞台に立ち続けること」やお客さんの目が怖くなったことも無くはなかっただろうに、その怖さと戦いながらこうして演じているのか、、と思うとつい涙がでそうになっていました。

名古屋初日で観た蘭さんの表情に明らかに余裕と自信がみられるし、不安定な部分もわずかに残るものの、圧倒的に良くなっていたと思います。場数、経験はこんなにも人に自信を与えて実力に変るんだ、、ミュージカルの世界は常に生歌で勝負の世界だからこそ、だましはきかない、、けれどそこで戦って身につける強さは本物なんだなと感心しました。

 

最後に。

 

今まで様々な姿を見てきたけれど、エリザベートに出会って、ルドルフをみて。この世界で輝く姿が一番みたいと思うようになりました。

それは、何十回見に行っても、どこに見に行っても必ず「素晴らしかった」が更新されてゆく姿があったし、個の力で自分の実力を超えたところで戦って、くらいつきながら役を深めてゆくその姿が輝いて見えて。なによりも歌や演技の実力そのもので厳しい評価ももちろん受ける。けれど良いものを見せれば全うに評価してもらえる。今まで彼のことを知らなかった人に知ってもらえる。お馴染みの客層が大半をしめるのではない世界で「京本大我」として名前を売ることが出来る。この作品でファンとしても本人の周りに広がっている景色は変わってゆきました。それはずっとファンとして望んでいたことです。けれど2年間を通して、まだこれはひとつの始まりなだけで、まだまだ今スタートラインに立ったとも言えるのかな。この先たくさんの作品に出会い、壁にぶつかりながらもまた表現を見つけ出して、10年、20年先まで活躍して欲しいなと思います。

とはいえ、個人的にはどんどんミュージカルに出て欲しい気持ちがあふれ出て仕方がないですけど、京本くんが選ぶお仕事や道はどんなものでも必ず光に通じるものだと信じられるので、自分の思いは心の中に秘め、静かに彼の「今」を見守りたいと思います。きっとエリザロスみたいな感覚が京本くんのファンの中にもたくさんあると思うし、個人的にもあふれるほどに在るのですが、もう京本君は次を見ていると感じるので、それに我々ファンも付いていくのが応援なのかなと思います。「急成長期」をひた走る姿においていかれないように^^

 

2015612日~20161023日。

 

京本くん、ルドルフ役、本当にお疲れ様でした^^

少年たち2016① あの子が出てるから見るという矛盾。

日生劇場で少年たちが始まって中日を超えました。

私は去年の初演のときから、この少年たちの「キョウモト」がルドルフに継ぐほど好きなので、今年も非常に楽しみにしていました。

現在進行形で観劇しているので、いつもなら千秋楽を迎えて、だらだらと京本君のここが良かっただの何だの書き留めるのですが、今回はひとまず千秋楽を迎える前に。

千秋楽を迎えたら、後述するほぼ120%の満足を書き残そうかと思います。

 

前置きすると、「京本くんのファン」として「京本君」が演じる「キョウモト」には、ほぼ120%(表現が矛盾だらけですけど、、)満足しないわけがない、というくらいに楽しめています。

なんてったって、悲願の手越君との共作のソロ曲が歌えることや、役柄に出番、演技、歌・・それは千秋楽を終えていつもの感じでまた書き留めるとして。

 

ただ、何度も見たいと思う理由が彼の演じる姿、歌う姿が見たいからということだけに、観劇するモチベーションが集中してしまっていることに矛盾を感じるのが個人的な2016年の少年たちの感想です。

それは決して他の演者の問題とかではなくて、直球で言えばストーリーの問題なのかなと。

 

本当に個人的な感覚で、舞台を見に行った一人の観客のたわごとです。

正直2015年の少年たちのほうが、最後の急展開にえ?という感想を持ったことは否めないけれど、ストーリーとしてん?という違和感を感じることは2016年より少なくて、見易い舞台でした。

今年は、それぞれの出所後にもスポットを当てることで、それを一まとめにする結果に無理がありすぎて観ていても、劇とはいえそんな設定がありえるのか?と思うことが多かったり、

もっとこういう背景の説明がないと見ている側の人間には分からないのでは?と思うことが多かったです。

 

焦点を絞るなら、①生中継、②謎のキョウモトという存在 といったところですかね・・。

    はもうジャニーズの話なんだからそこは別物と考えろ!といわれそうですが、どうかんがえても、なんでいきなり兄弟は補給部隊に日本人なのに派遣されているんだ、テレビ局側の人間がジェシーの姿を見れるのはわかるけど、なんでジェシーがテレビ局側の人間を見ることができるんだとラストの展開に疑問符だらけ。

マリウス君の戦死により、ジェシー君の意識が変るというくだりに戦争の現実的な恐怖を感じるし、戦争のシーンが増えることも個人的にはなにも異論もないですし、二人のシーンのセリフには考えさせられることが非常に多く、あってしかるべきシーンだと思います。とくに「戦場ではやさしいやつから死んでいく」とか「戦場で愛を持っていれば死ぬぞ」というセリフとか。そこまでのシーンがあるのに、どうしてラストあんなに非現実的な展開になるんだと思わずにはいられなくて。けれどその理由はジェシー岩本京本以外の子達の未来をひとつにつなげるための展開、はたまたラストあのシーンが先に決まっていてという鶏が先かたまごが先か論争になりそうですけど、でもやはり腑に落ちない。一幕で今までの少年たちの脱獄するということとか2つのチームの対立と和解とかそういう部分を薄くした結果にこの設定?という疑問がぬぐえなかったです。ジャニワもストーリーってなに?の典型だと思うのですが、あれはあれで一環してストーリーって?なのでまだ気にならない。今回は現実的なメッセージが強くあるからこそ、最後にどうして?がすごいです。。

 

    戸塚君が演じてた新入りの設定だとか、去年の少年たちを見ていたり、何度も見ていたりしている人にとっては、「京本」はずっと一人ぼっちで、孤児院でいじめられて、、そんな境遇だからこの囚人達がはじめて出来た仲間であって、ケンカばかりなことに疑問を感じたりするっていうのは分かるんですけど、果たして初見だったらわかるのかな?去年よりその部分の補完が薄くて、まっさらな気持ちでみたら全編とおしていったい何者?ってならないかな?と思うことが。

勿論劇中のキョウモトって12人の中で浮いた存在で、京本君自身の演じ方に加えて雰囲気とか体型、声色も含めてその異質感がより際立って出ているのですが、やはり彼の存在に対する描写が去年のほうが分かりやすかった。それは岩本くんも同じかなと。(岩本君とジェシー君の対立の理由がテーマを変えたからすごく薄くなってしまって、結果その理由でジェシー君少年院に入って、戦地行って、戦死するにいたるってどうなの?とも思ったり、、)2幕になっても、一体なぜそこまでして彼は二人の間をつなげようと必死なんだろう、それは勿論二人の音楽を世界に広めたいんだっていうことなのは再三再四セリフにあるけど、、とどこか腑に落ちない。

ただひとつだけ助けがあるとすれば、ジェシーが死んだあとに一人突っ伏し、顔を上げて悲痛の叫びのように歌う演技をみてると悲しいだけじゃなくて、自分が一人ぼっちで生きてゆく中で支えであり、大事にしていた「音楽」を通じてできた初めての友人と、その友人が最も大切にしている友人とを結びつけるものがまさにその「音楽」で、そのために身を削って奔走したにも関わらず、全てが崩れていた悔しさや虚無感やらあらゆる感情が一気に噴出した瞬間なのかなと思ったりもするので、納得できる気がします。京本君の泣き方はジェシーが死んで悲しいということより、どこか怒りだとか悔しさも含んだ悲痛に感じるので。ここは千秋楽にかけて楽しみにしていきたいところです。(去年以上に京本君はこのラストのシーンでキョウモトを噛み砕いて理解してがーっと役に入ってる気が。)

 

去年すごく好きなシーンが出所で一人ひとり散っていくシーンだったんですよね。結局出所してもキョウモトは一人ぼっちなんだってのが強調されてて。だけど今年は、シーンとしてキョウモトはずっと一人だと思わされるのではなくて、話全体を通してずっと一人で、ペアになる人もいないし、ジェシーはキョウモトがいくら彼を友達だと感じても一番は岩本で。だけどキョウモトは自分が一番の友達になろうという意思はさらさらなくて、ジェシーと岩本をつなげる役に徹している・・

ここまで書いてると結局キョウモトってずっと一人で最後まで一人で、これからも一人だけど、一体何者なんだ、、一番救いのない本当の仲間がいない子なのだろうか、、となれば、この異質感とストーリーテラーとして動き回る彼も納得できる、、と思うけど、じゃあなぜ1幕で「なにか俺に出来ることはないのか!」と囚人全体のことまで考えているのだ、、去年にはない絶叫をするのだろう、、とか。

 

京本君の歌もお芝居も全て満足なので、彼の1幕から2幕にかけての演じ分け方だとか、表現力だとか全て今までの経験をぶつけているな~とか見てて気持ちいくらいに楽しいんです。ただこの個人的にうだうだとストーリーを考えつづけていることで、結局少年たちをみにいくのは京本君が出ているから、に落ち着いて、それで結局満足もしているのが事実で、どこか矛盾を感じます。

日経エンタの連載で光一さんが苦言を呈していたまさにその楽しみかたを自分自身がしてるわけですし、、

 

はたして千秋楽までに結論はでるのか分かりませんが、懲りずにまた見に行こうと思います。

ということで、千秋楽が終わればまたいつもの書きとめておきたい部分を書くのかな。

エリザベート博多座公演の記録

エリザベート博多座公演も無事京本君は千秋楽を迎えましたね。

既に六本木ではサマステも始まっていますが、博多座への遠征は個人的にもとても楽しかったので、博多座での公演についても書き留めておこうと思います。

 

今回810日~814日まで博多に滞在し、京本君が出演した5公演を観劇していましたが、特に記憶に残っている公演は間違いなく京本君の千秋楽であった814日マチネ。そして、811日のソワレ、812日のマチネでした。

この日のここが良い悪いというのをつらつらと書くのはあまり個人的には好きではなくて、その日その日の演技を楽しめなくなってしまいそう、、と感じたり、京本くんの演じたルドルフを拙い書き言葉で表現することが難しいのですが、とても良かった部分は書き留めて少しでも個人的に思い出すときの手がかりになればと思って下記したいと思います。

千秋楽から遡って。

 

814日マチネ

 

1幕の第1声から「あっ、違う」とはっきりと感じました。2幕、やはり闇が広がるでは後述しますが、城田トートと組み合わせると声のバランスではなく、演者同士(城田くんと大我くんの)のお互いがお互いを鼓舞しあいながら盛り上がっていく感覚が強く大我くんもどんどんノッっていきます。

個人的には、最後「皇帝ルドルフは立ち上がる」と手を広げて歌い上げる箇所、コーラスも入りオケもバンバン鳴っているので、声を振り出すのですが、仁王立ちになり全身を震わせて声をだす京本君の姿がとても男らしく、逞しかったです。

 

独立運動のシーンの歌は大我くんの得意とする音域です。

けれど、その前の闇広で全身全霊で歌うので、ここも鬼門ではあるのかなと思っていたのですが、千秋楽公演では前日に引き続き、ぶわ~っと声を広げて歌い上げていて、オペラなど使わずに耳に神経を集中させて聞いていました。

 

千秋楽がとにかく素晴らしかったのはこの後からです。革命が失敗し、エルマーが捉えれたあと、名前を聞かれるシーン。

「ルドルフ」。。。「姓は?」、、、「ハプスブルク!」と名乗るのですが、京本君の「ハプスブルク」には様々なパターンがありましたが、この千秋楽では非常にタメがながく、目をぐっとほそめて、最後に意を決したように力強くハプスブルクと。そこから、「父上っ」っとフランツにかけより声を発するのですが、そのセリフのきり方も今までとは違いました。

そしてひざから崩れ落ち「ちちうえ・・」とつぶやくのですが、ここでは手を口元に当てます。これはその前の導線で手を前に出しているので、そのまま口に持っていく流れなのかなと思います。博多座公演中も、手を当てるときと当てないときがあるので、そこは彼がその日その日のルドルフを演じている所以だと思いますが、このときの「ちちうえ、、」の言い方も前日までよりタメがながく、語尾がかすれるようになってました。

 

そしてママ鏡。今までで一番感情をあらわにしたというか、決して涙は流してはいないけれど歌声に涙を感じさせる声で歌っていました。シシィにすがりつき、左手で花様シシィの手を握り、その手はプルプルと震えています。そして花様は手を払うので、ここで京本ルドルフはその手を見つめ、目を丸くし、絶望の表情を浮かべます。その表情さえも、また違っていてこの千秋楽の公演はひとつひとつの動き、セリフが全て深化していたなと感じていました。

なんといっても最後の「ママも僕を見捨てるんだね」までの動き方、セリフを発するまでのタメ方、最後の「ね」の声の投げ方が新鮮でした。マイヤーリンクが終わり拳銃でこめかみを打ち抜いた瞬間にあ、またルドルフとして生きて死んでいったという実感が沸くのがなんとも物悲しかったです。

 

カーテンコールでは毎回城田君がいるといつもお互い合図をし合って鼻をかむようなしぐさをして微笑みあっているのですが(いったいなんの合図なのか気になる。。)、この日は鼻をスーッと伸ばすような合図をしてました。最後ということもあって、観客席からはひときわ大きな拍手と完成。すこし恥ずかしそうに、けれど満足そうに笑う京本君の姿をみてこちらも幸せな気分でした。今舞台上からみている光景や、感覚を忘れないで欲しいなと思いながら、拍手をおくっていました。

 

812日マチネ

 

この日特記したかったことは、井上芳雄さんのトートとのベストな闇広、そして霧が晴れたような爽快な独立運動の歌です。

昨年のエリザベートでは、大我くんは井上トートの声のバランスや溶け合い方があっているな、と感じていたのですが、今年は城田くんとの舞台上以外での関係だとか一緒に頑張っていこうっというある種の絆のようなものか分かりませんが、とりあえず城田トートの闇広のほうがパンチがあった印象でした。勿論去年よりも声量も上がったし、全て上パートになったので声もよく響くんですけどね。

 

井上さんの素晴らしい歌声や声量に、このマチネではとにかく上手く声が乗って、そして変な力が入ることなく、京本ルドルフの歌声が聞こえました。まさにデュエットとはこれ!という感覚で、この前日の公演がとても良かっただけに、京本くん絶好調をキープしてる!と嬉しくなりました。

そして、独立運動独立運動は本人の歌唱力が上がったこともあって、声は良く出るのですが、どうしてもその前の闇広のインパクトですこしトーンダウンしてしまったり、若干上ずってしまったりという点があったのですが、この日の独立運動がパーンと声が伸びるし音程は正確、なにより一音一音がはまる感覚があって、これ!この独立運動!!と勝手に内心盛り上がってしまいました。

 

811日ソワレ

 

博多座で観劇するのは2回目の日。

博多座はとにかく箱がすばらしく良くて、音響もすこしこじんまりとした大きさも相まって、マチネから観劇がとにかく楽しかったです。

そんななか若干の疲労感も感じながらの観劇でした。ところが、このソワレで「2年間で一番よかったかも!」と思うような大我くんのルドルフが見れたとそのときは思いました。今思えばもっとすごいものがラストに来たので、見る側も京本くんに油断してはいけないなと思いますね。

 

この日はマチネが蘭さん、芳雄さん、ソワレが花さん、城田さん、そして他のキャストも入れ替えパターンなので、京本くんの演じ方の違いがはっきりみえて面白い日でした。特に分かりやすいのは、ママ鏡の部分だと思いますが、2年間見てきた中でたった1度しか見たことない表現をしていなのが印象的です。2年間みたといっても、私が観劇した京本くんのルドルフは全体の半分の公演程度なので、他の公演でもやっているかも知れませんが、そこは目をつぶって下さい、、

 

蘭さんのときは手を見ることはあまりせず、花さんのときは左手をじっと見て、嘘だ、、、という驚きと絶望の入り混じった表情を浮かべます。いつもはそのままさらに絶望や空虚な表情を浮かべるのですが、この公演ではその左手をギュッと握りしめ、おでこにあて、若干悔しいといった表情を浮かべていました。そしてそのあと一層虚無感と喪失感を感じた表情でたちあがり、マイヤーリンクへと進むのですが、私はこのときの一瞬悔しそうに目をぎゅっと瞑る姿が印象的でした。

 

上記した3公演以外の2公演も勿論素晴らしかったですし、なにより安定感がありました。

去年あれだけ毎日不安で、今年も地方公演に出演するとわかって、大丈夫かな?と心配していた自分が嘘のように、そしてまた大我くんに失礼だったなと思うほどですし、博多滞在中、またあの京本ルドルフがみれる!と毎日楽しい気持ちだけで過ごせました^^

 

それと同時に悔しいなと思うこともありました。博多座というステージで、そして共演者の方々と東京を離れ過ごせる期間、京本君自身の調子も上がっていて。博多座の公演も最後まで出られていたら、もっと多くの方々演技を見てもらえた、梅芸も出られたら大阪の方にも見てもらえた、、なんてことが頭によぎります。「個人」として高みを目指すというスタンスを貫く京本君にとって、本人の言葉を借りますが、世界を変えた人生の分岐点となるような作品を優先できたらななんて。

とはいえ気持ちは切り替え、10月には中日劇場公演がありますので、1ヶ月半のブランクを超えた京本君が演じるルドルフを楽しみに、過ごそうと思います。

 

博多座公演、お疲れ様でした。

 

エリザベート帝国劇場公演を終えて

エリザベート帝国劇場公演が無事幕を下ろしました。

 

何を言葉に残してよいのやら、まだ京本君で言えば博多座、中日劇場と続くので「終わった」という感覚にはなっていません。

とはいえ、帝国劇場に次、彼が立つ機会はいつくるのか分からないわけで、またあの緊張感と高揚感と興奮を味わえる

ルドルフを演じる京本君を帝国劇場で見られる時間は、あっという間にすぎてしまいました。

 

今年のエリザベートは昨年とははっきりと違う、毎日が楽しみというそんな穏やかで安定した気持ちで見ることができました。

正直な話ですが、昨年のエリザベート公演期間の3ヶ月、とても充実していたかというと、そうではなく、やはりあの休演があってからというもの、

毎日のように、「今日は舞台にたてるだろうか」「今日の大我くんはどうだったろう」と心配ばかりしていました。

そんな心配をよそに、素晴らしいルドルフを見せてくれましたが、やはり公演後に明かされる当時の過酷な精神状態を見て、今年は地方も回るけれど

大丈夫かな・・と思っていたのも事実です。そんななか開幕した2016年のエリザベート

 

初日、1幕の「我ら息絶えし者ども」の第1声「ママと僕は似ている、分かり合えるはずだった」この1フレーズだけで、はっきりと去年とは違う、

声の太さも響きも明らかに成長した京本君のルドルフがいました。

 

どこがよかっただとか、こんな演技をしていて感動しただとか、書き残したいことも山ほどありますし、エリザベートを通じて経験したあらゆる思いを残しておきたいのですが、いまだ整理が付いていない状態です。

毎公演進化する京本君の表現力もお芝居も楽しみでしたし、何より安定してみていることが出来ました。

とても頼もしく、大人なルドルフを演じているなと。本人が目指しているルドルフ像を、こうして観客が受け取るレベルまで作り上げてきてるんだなと。

 

詳しくはまた、頭が整理できてから書き残そうと思います。

 

ただ、帝国劇場の千秋楽を目にして、そしてカーテンコールを見ていて、今彼が見ている帝劇の舞台から見た光景や観客から自分だけに向けられた大きな拍手の記憶が、今後の彼にとって何か壁にぶつかった時の自信として記憶に残っていたらいいなと思っています。

 

前回同様かれの演技には音源や映像には残りません。京本君がカーテンコールの挨拶で「今年の僕のテーマは、みなさんの記憶に残るルドルフでした。僕のルドルフを忘れないでください」っとはっきり語った言葉の中には、彼なりの悔しさもあるとは思います。それでも、その現状を自分なりに噛み砕いて、糧にして前に進んでいる様子が見て取れました。

勿論個人的にも色々な感情はありますが、何よりも今彼がその制約の中に存在していることも、そしてその制約のある環境で11年歩んできたことも事実です。そして2年間のエリザベートという作品に関わった時間、そこから派生して繋がったお仕事、観客からの評価、何より彼自身が身につけた実力と自信・・・すべて私の目にうつるものは決して可哀想なものではないので、最後にたったひとつ、映像化できなかったということで可哀想だと言わないで貰えたら、ありがたいな、そんな風に思います。

外部の舞台を2年連続で経験し、外の世界にも目を向け、人とも交流をして。経験を通じて自分なりに決めた道や、目の前に広がっていると気付いた新しい世界が、今のままでよいのか外に出るのか、それを判断するのは本人次第ですし、いずれの道でも見守りたいなと思っています。

 

次は博多座公演。

 

京本君のルドルフをしっかりと目にも耳にも残したいと思います。

 

滝沢歌舞伎観劇を終えて ー口上等もざっくりまとめて

滝沢歌舞伎も千秋楽を無事迎えましたね^^

 

今回は前々から2幕が前編鼠小僧になったり、「笑い」がメインだったり歌があるなど、、、、新生滝沢歌舞伎なんだろうなと思っていたので、

初日をすごく楽しみにしていましたし、初日の記憶が鮮明に残っています。初日はとにかく目が忙しく、一幕で大我くんの立ち位置把握がとても大変でした。

 

京本君だけに関して言えば個人的には「外で培った経験と実力を発揮するチャンス」を頂けていたのかなっと思うように感じました。

京本君の一番の見せ場は「変面」のシーンでの独唱(舞台上は滝沢くんとバトン、バレエダンサーと京本くんのみの場面)かと感じています。

このシーンはまさに「ルドルフ」を思い起こさせるようなナポレオンジャケットの衣装に、曲調も重厚で、非常に低音域かつ太くビブラートを存分に聞かせる場面でした。

そして2幕の役柄岡っ引きの小次郎。こちらは、深澤君演じる「お丸ちゃん」にひたすら恋する純粋な役柄。まさにジェンキンスを一途に想うデュークのよう。

 

こじつけと言われればそうかもしれないんですけど(笑)、一幕でルドルフ、二幕でデュークといったそんな面影が見て取れるのは嬉しかったですね。

滝沢君の思いがあるのか無いのかわかりませんが、こうして外部での経験を、ホームにもってきて発揮しろよ!といったメッセージを勝手に感じておりました。(勿論そんな意図は毛頭ないかもしれませんが。。)

 

Seasonsでは京本君、林君、増田君、ジェシー君の4人で英語で四季の歌を。

変面のシーンとはいっぺんして、京本君は高音パートを主に任されていました。この4人の歌唱レベルの高さは素晴らしいですね。林君のスコーンと響く美声もとても聞いていて気持ちがよかったです。

こうして、ジャニーズの舞台の中でも「歌う事」にスポットを当ててくれる流れがこの先も続いて欲しいです。

 

そして忘れてはいけないのが、今回の滝沢歌舞伎では、京本くん毎回おまるちゃんの「次は脱毛!」に対するリアクションを一発芸という名のすべり芸スタイルで毎回変えるというチャレンジをしていましたね^^個人的には、彼はこういう「どこでいかに目立つか」に対して最近貪欲な面を押し出してきてるなと思うので嬉しいです。

天然キャラ?で最近進んでいる京本くん、勿論世間の一般常識とは少し違ったり、発想が不思議な部分は勿論あるんですけど、非常に賢い面や舞台上での度胸は随所に見られるので、こうして他のファンの方から、京本君のファンは知っていた意外(?)な一面を発揮できるチャンスを自分でつくったり、滝沢くんから頂いたことが素敵だったなと思います。

おまるとのシーンは毎回変えるだけで、毎公演レポがあがるし、滑ったって意味不明だってやりきることに意味がある!の精神でどんどん恥ずかしがることなく挑戦できるハートの強さは大事だと思います。そんなことができるのもホームの良さかもしれませんね。担当としても彼の今回のグイグイいっちゃう肝の据わり具合には驚いています。

それに、滝沢君や三宅君、V6のファンの方など京本君のことを知らない方々に存在をアピールする大チャンスですから、思い切り「京本大我」を前面に出してきてる!と日々楽しかったです。

 

 

公演期間が1ヶ月と長いので、書き留めて公演数が進んでいくうちにどんどん変化が起きていった滝沢歌舞伎。

特にGW少し前から行われた「滝沢くんからの口上無茶振り」の餌食(?)、となった京本くん。

餌食というより自分からも行ってるので、なんともほほえましい限りです。後半はほぼ毎公演滝沢君からのご指名を受けていて、それもなんだか嬉しかったりして。

ちなみにどんな無茶ブリ口上だったかといえば、、(あえてざっくりニュアンスでまとめています。)

 

5/1昼 「空気を読まずにいつもどおり!京本大我!」・・滝沢君から、京本は空気をよまずに~っていうフリがあってからの。

 

5/3昼  怪談風口上。「自分でも何を言ってるかわからなくなってきた~キャー!!」・・滝沢君いわく、林君の13役を狙っているということから。

 

5/3夜 「おとーちゃん!頼りなかった俺も、気付けば明日で入所11年目やで~。いつもお父ちゃんからのメール無視してごめんなぁ(中略)。これからもお父ちゃんを超えるために、精進するからな!京本大我!」

    ・・こちらはSnowmanの結成日ということで、家族への感謝を!という滝沢君のフリにいきなり大我も参加した形。

 

5/4夜(入所日)甘えん坊のジャイアントベイビー口上「本日より11年目を迎えました!甘えん坊の大我ちゃんでちゅ!間違えて名前を先に言っちゃいまちたー!」この後腹ばいに寝て両手で頬杖ついてひざを曲げ脚をぶらぶらさせて(書いていて笑いそうになります。。)「この10年間舞台やドラマを経験させて頂きました。11年目もジャイアントベイビーで頑張りまちゅので応援してくだちゃい!」

 

5/6 昼 トマト。「滝沢歌舞伎とトマトはにているという口上」・・二世タレントながらにかっこよく決めてくれるでしょう!という滝沢君のフリ

 

5/7 昼 たんぽぽ。「たんぽぽタッキー。」いにしえのタッキーはふわふわと綿毛のよう。・・こちらも二世タレントながらにかっこよく!

 

5/7夜 怪談風口上。こちらは5/3昼と同じフリだった様子。

 

5/8夜 母の日口上。「渡辺のママー!(中略)今日は母の日だし、渡辺のお奨めのお店に連れて行ってもらうのはいかがでしょう?・・滝沢君から渡辺君へのフリ&後はやりたいやつやれ!で大我くんが挑む。

 

5/10夜 滝沢歌舞伎と洗いたてのタオルをかけると。「洗い立てのタオルのが水をよく吸う。お客様も悲しみや苦しみを抱えている方もいる。それを洗い立てのタオルのように吸収したい(以下略)」・・ここにきてもはや無茶振りどころか、謎かけされている大我くん。思い切りやりきってくれました~。

 

5/12 夜 ケンタッキーフライドチキンと滝沢歌舞伎をかけて「ジューシー上がったフライドチキン=滝沢歌舞伎であげあげ!、そして滝沢歌舞伎もやみつきに!(超ニュアンスです。)」・・KFCの方々がいらしていたとのことで、大役を任されながらも会場は拍手と盛り上がりだったそうで♪

 

5/13昼 かたつむり口上。「いつも殻にこもっているかたつむりだけど、雨の日には顔をだす。何かに似ていると思いませんか?そう、それは健くん。佐久間って雨が、健くん!健くん!って振り出すと

嬉しそうに顔を出す(中略)。佐久間の熱にまけてエスカルゴにならないようにね!(うまい。。)」・・ちなみに滝沢君は、みんないつもどおりに~といっておきながら、最後に「京本大我ね。いつも会場を爆笑させてるから、今日はいつおどおり!」と壮大な前フリを。

 

5/14 昼 オムレツ口上 「渡辺は前菜、僕はメインディッシュ!(中略)オムレツって滝沢歌舞伎に似てるなって。フライパンという稽古場で僕達が野菜やお肉のように踊り、このお皿という新橋演舞場に運ばれる。お客様というふわふわのたまごに包まれる、たまごあってのオムレツ。つまりみなさんあっての滝沢歌舞伎。(中略)華麗にターンして、京本大我!」・・滝沢君から滝沢歌舞伎とたまごをかけてをお代とされ、渡辺君との口上対決。

 

5/14夜 前楽 お母様への感謝 「おかあちゃん、朝ぶりだね。僕が絶対毎日散歩もいくし、餌もあげるから犬を飼わせてくれと頼んだ日から4年、毎朝散歩に連れてってくれてありがとう。(中略)お客様のためなら、フライングも腹筋太鼓も挑戦する、まるで息子に尽くし続ける姿に似てるなって。(中略)ターンして、京本大我!」お母様は初日にもいらしてましたね^^

 

そして5/15千秋楽。

 

 

「今回の滝沢歌舞伎得たもの。それは滝沢くんからの無茶振りへの対応力です。この口上シーンではいつも必死にアドリブで応えてきました。これからも歌、ダンス、芝居、お笑い、すべてのことに全力で挑み、いつかこの新橋演舞場義経を演じられるような男になってみせます。ぼくは有言実行なので必ず叶えて見せます。滝沢くん、みててください!京本大我!」

 

 

っと、ファンとしても驚くほどの口上でのバリエーションやら、話し方、盛り上げ方、お客さんの反応がいただけたようで、毎日レポを見るのが楽しい、そんなスーベニアと同じような幸せがありました。

そんなアレンジ口上を楽しむ毎日、千秋楽はどうなるか?と期待やら緊張やらでしたが、千秋楽の口上が一番ファンとしても喜ばしく、そして義経を演じる日までこちらとしても応援していきますよ!それも有言実行ですよ!と思わされる、そんな決意表明でした。ファンの総意は分かりませんが、京本君がいつか座長を務めて欲しいという思いをもっているファンも少なからずいるはずで、そういう思いもきちんと背負って発言してくれることに、誇りと頼もしさを感じます。

 

 

今回の滝沢歌舞伎では、彼の成長してゆく姿が見られました。けれど、個人的に望む形は本番を通して「成長」する姿では無いので、この2016年を終えた頃には、初日から120%、これ以上伸びる余地ある?

っと思わせておいて、それでも尚日々進化してゆく、そんな京本くんになって欲しいなと思っています。

これは光一さんの考え方に大きく影響されていますが、「この舞台で成長してグループに持ち帰ってね!」だとか「滝沢歌舞伎にでるからには、そこで成長してほしい!」という言葉に違和感を感じていました。だって、本番は成長の場所ではなくて、その1公演がMAXであるべきだし、1回しかこれないお客さんにその成長の過程やら伸びしろを見せる余地があるってなんだか悔しいと思ってしまいます。

光一さんは舞台で成長するようじゃ困る、もうその段階は終えてる人であるべきだっていうお考えの方ですし、まさにそのとおりだと思うので。かつ、その状態でも尚、もっとよいもの。昨日より今日。の精神で日々ステージを作り上げていく、そんな座長の姿が好きですし、京本君にもそのマインドの演者であり座長になってほしいです^^

 

それから、自分自身が京本くんのエリザベート、スーベニアはもちろん歌舞伎を通してみていても、初日より千秋楽がよい、成長してるなっと思ってしまうのが悔しいという複雑な思いがあります。

もちろん今はそれが素敵だし、決して初日から不十分なのではないんですけど、エリザベートでも少年たちでもスーベニアでも千秋楽が飛びぬけて素晴らしいんですよね。

それが初日から出来たらどれほど素晴らしいんだろうという欲深い思いが生まれます。でもそれができたらもっともっとステップアップできるのではないかなっと。

光一イズムの継承者になれというのは難しいとは思うんですけど、個人的にはそのくらい厳しく自分と向き合えたら一人の役者として、アーティストとして、京本大我として、精神的にも身体的にもとても強くなれると思います。未来のミュージカルプリンスであり未来の義経に期待をこめての喝でした^^

 

 

喝をいれてますけど、この滝沢歌舞伎の約1ヶ月もとにかく楽しい1ヶ月で大満足で幸せな春でした^^

 

 

次はクリエですね。去年は大我くんの姿はみれていないので、今年はしっかり見届けたいです。

 

演者の輝きを引き出す座長の力 Endless SHOCK観劇

320日、Endless SHOCKを観劇しました。

 

初めて観劇したのは高校生の頃で生田斗真さんがご出演された2007年。

その年から毎年観劇しているのですが、いつみても「素晴らしかった、また来年も見よう」と思う作品です。

勿論私が光一さんのファンであるからという理由が第一ですが、一分一秒たりとも気を抜くことができず幕間を迎えるときにやっと息をふっと吐き出すことが出来る、そんなとても気持ちの良い疲労感さえも味わえる舞台だな思います。

そして個人的なジャニーズ舞台の入り口はEndless SHOCKですので、この舞台を見れることでほっと安心できます。

 

今年はこの1度しか見ることは出来ないのですが、この1回で満たされる。勿論出来ることなら何度も入りたいですけど、「今日の公演がベストの公演」と光一さんが語るように、「11回最高のもの」を作り上げようとするカンパニーの思いがあるからこそ、その1回を見ることでSHOCKの世界を十分に味わえ満足できるのかなと思います。

光一さんは私からすれば年上の方で、担当と呼ぶには恐れ多くただただ『そのパフォーマンスを楽しませて頂いています』といった感覚なのですが、彼の「パフォーマンスこそがファンサービス」という考え方を尊敬し信頼しています。だからこそジュニア世界を始めてみたときから、ある部分やある一種の傾向に違和感や苦手意識を今でももつのかもしれません。勿論全てにではなく。そしてだからこそ京本くんのファンなのかな。「誰か特定のファンに」ではなくファン全員に対して自分を表現できるものはパフォーマンス、歌、踊り、芝居・・etcですし、それを魅せることで「きてよかった、ファンでよかった」と思わせる力がないと10年、20年先まで芸事を続けられるとは思いません。

 

つい脱線してしまいました。

 

今まで光一さんばかりを中心に見ていたのですが、昨年からつい目を奪われる方がいました。

それは岸孝良くんです。ちょうど昨年は事故があった後の観劇ということもあったからかもしれませんが、

彼の表情がとにかく印象的でした。舞台に立つことが幸せだと受け取れるような笑顔や、殺陣シーンでの狂いぶり、まさに舞台上で自身を解放して自己表現をぶつけている、そんな輝きがあって何度もめを奪われました。

幕間にステフォを思わず買い足した記憶があります。光一さんと大我くん以外の写真を買うことがなかったのでそれくらい自分の中で彼の舞台にたつ輝きは衝撃だったのです。

 

そして今年、もっと周りの演者を見てみようと思って観劇していると、福田さん、松崎さん、野澤くん、諸星くん、

松倉くん、そして岸くん。全身全霊で踊り、歌い、顔も体も全体を使ってそのときの感情を表して。。

とにかく舞台上の輝き方に圧倒されました。それぞれ自分なりの表現があるのだろうと思いますが、どの方もこのSHOCKという作品の中で生き生きとされていました。もちろん私自身が彼らがそこにたっていて幸せだと思っているのかなど言い当てることは出来ませんが、観客としてそう感じています。

その輝きを引き出しているのは、もちろん演者一人ひとり、スタッフの方々のお力、そして観客の反応・・様々なものがあると思いますが、そこには「座長」としてカンパニーを纏める光一さんの信頼、安定感、・・・そういった要素も決して少なくないと思いました。

SHOCKは全編通して「コウイチ」がメインの舞台です。コウイチの圧倒されるほどのオーラあるけれど、それに負けないくらい周りが輝いているのは、そういうことでもあるのかなと感じます。

 

京本くんを通してエリザベートに出会い、ミュージカルに興味を持ちはじめ、それまでもいくつかの作品を見ていましたが、毎回舞台が始まるときの高揚感と、見終わった後に頭の中で流れ続ける劇中歌。

23間に詰まった役者とその周りの方々の「生」の表現ってそれだけで価値があるものだなといつも感じています。だからこそ、ジャニーズの世界であろうとなかろうと、こうした表現者に対しては最大限敬いをもって、ファンとして応援すべきだと思うのです。

舞台上で歌い踊り演じる姿を自分の目でみて、「輝いている方」のファンになるととても幸せな時間をいただけます。テレビの視聴率だけでは得られないそんなものもきっとあるのではないでしょうか。

 

少なくとも、私は光一さんと京本くんを応援していて舞台やステージに立つ姿から嫌な思いや不満を感じたことはありません。御二人とも年齢も経験もまるで違うけれど、それぞれ「堂本光一」として、「京本大我」として、1人の役として帝国劇場の舞台に立ち、それを観客として受け止めることが出来て常に良かったなと感じられます。

個人的には指差してお手振りなんていらないんです。目が合ったなんてどうでも良いことなんです。顔を覚えてもらいたいなんて到底思いません笑。(もちろん応援の形や気持ちは人それぞれですけどね^^)

限界と戦って表現している姿に満足感を得て、それこそそのためにお金を払います。それができるから応援したいと思えます。

 

SHOCKの劇中のセリフに「ひとつ苦しめば、ひとつ表現が見つかる。ひとつ傷つけば、また一つ表現を作れる」とあるのですが、まさにそのもがきや苦しみを繰り返した上で放たれた表現を目にすることができているのを京本くんにも強く感じます。応援していることへの自信も誇りも信頼も感じられるそんなお二人です。

 

どこかテレビという映像媒体への憧れや価値を強く感じている風潮には勿論一理あると思いますし、きっと世間ではそうなのかもしれません。

けれど、やはり今回SHOCKを見てまた改めて生の芸術作品の力に圧倒され、その価値を信じられるなと強く感じました。そしてこうした様々な内部外部問わず舞台作品に出演するといった限られた機会をつかみ取れるJrの方々は見ていてとても楽しいし応援したくなる子達ばかりだなと感じました。(あっJohnny’s Worldはごめんなさい、除外します・・)

 

Endless SHOCK本当に素晴らしかったです。千秋楽までに「エンターティナーの条件」を熟読したいと思います^^